『Love, Stargirl』Jerry Spinelli 著千葉茂樹 訳理論社※以降、ネタバレを含むかもしれないのでご注意ください
【縁じゃないか!その4】
<その3|
その5>フリーダムタコスさんと共同で夏パクフェアを開催中と聞いて、
アチェチェさんに向かったのですが満員で入れず、それでも心優しいお客さんが
「もうちょっとで食べ終わりますよ(*´▽`*)」
と声をかけてくれたので、奉還町商店街をぶらついて、以前から気になっていた
手仕事と古本のお店に入ってみたんです。
そのお店の一番奥で、文字どおり星のように、輝いて見えたのが本著。
この出会いを言葉で表すなら
「ワオ!」
じゃ足りなくて、
「ドカーン!」
かな。大げさだと笑う?なら、結構!
他の誰でもなく、この本と出会わせてくれたあなたが笑うことに、意味がある(。-`ω-)q
それと「ドカーン!」は決して大げさじゃない。
これは運命の悪戯とか、交錯なんかではなく”衝突”なのだから。
ーーー
伝説のバニーホップの夜を越え、スターガールがレオの前から姿を消して半年後。フラれた悲しみで涙に暮れる彼女(信じられない!)。一度は”幸福のワゴン”の小石が尽きかける、不幸のどん底にまで陥るが、
一筋縄ではいかない妹分たち、変わり者のご近所さん、優しい両親、
貧しく手癖は悪いけどちょっと気になるアイツ…様々な出会いをきっかけにスターガールは少しずつ変わっていく。前作『Stargirl』はレオの視点から、一般的に言えば”普通じゃない”んだけど、
飄々としてすごく魅力的な、スターガールの姿を描いていたのですが、
今作はスターガールの視点から、出されることのない長い長い手紙という体で描かれています。
ハイスクールでレオを初めて見かけたときからの、
愛と恐怖がないまぜになったドキドキなどが詳細に書かれてあったりして、
ある意味でスターガールが”典型的な”女の子であったことを知らされます。
根拠があるでもなく自分が魅力的だと思ってみたり、一つの恋に縛られて泣き暮らしたり、
その悲しみのあまり詩人のようになったり。悲しみは人を詩人にしますから、
詩の内容にかかわらず、詩が紡がれるたびに読んでいるこちらの心が痛くなって、
思わず海外のホームドラマのように
「ンー、スターギャーウ…ドンクラーイ(日本語訳:スターガール、泣かないで)」
と言いたくなってきます。
本著の大きなテーマの一つが「時間」です。日の出とともに起き、日没の後は眠る、
あるがままの生活を捨てて、細かく区切られた時・分・秒に縛られる私たち。
時計の針が毒針みたい、という比喩に(なるほど、だからみんな死ぬんだな)と
妙に納得させられつつ、仏教の思想や
”ケ・セラ・セラ(なるようになる、といった意味のスペイン語)”という言葉などを通じて
「今を生きる」ことの大切さを説いています。
スターガールが時間についての詩を作り、それに感動した母親と共に
家中の時計をハンマーでぶち壊した8月末のとある日は、
本著の中で非常に印象的で象徴的な場面であり、確実にこの日から
順風満帆とは言えないまでも、スターガールは”解放”に向かって進んでいきます。
そしてもう一つのテーマは、「愛」。
スターガールの、目の前にあるものすべてを受け容れ、愛していくキャラクターこそが
最大の魅力であり、それが本著内での冬至イベントの結果に表れ、
美しいラストへと繋がっていきます。
スターガールとレオが再会し、二人は幸せなキスをしてめでたしめでたし…
といったタイプのハッピーエンドではありませんが(w)、
「レオとの恋を諦める」「ペリーとの新しい恋が始まる」
(そんなラストも悪くないじゃん)と、まるで自分に言い聞かせるように
予想した結末(そんな自分がちょっと恥ずかしい)は気持ち良く裏切られ、
”時間”も”距離”も超えた、大きく強く真っ直ぐな愛に、爽やかな感動に満たされます!
…まぁ、”現実”に束縛されている一般庶民にとってはちょっとファンタジーな
印象は否めないんですけど、だからこそ”心の洗濯”ができるとも言えますね。
この作品のキモだと思った部分をドーンとご紹介しちゃってますが、
それでもなお、スターガールと他のキャラクターたちとの
一つ一つのエピソードの魅力は損なわれないと思いますので、
ぜひぜひ前作『Stargirl』と合わせて読んでほしい、おススメの一冊です。
…あ、時間についての物語と言えばミヒャエル・エンデ『モモ』なんかが名著ですが
久しぶりにそちらも読み返したくなりましたよ。
いやぁ、読書って、本ッ当に良いものですね~(*´ω`*)
[2回]
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