『舟を編む』三浦しをん 著光文社文庫
※以降、ネタバレを含むかもしれませんのでご注意ください。
出版社の営業部で働いていた、文字どおり”まじめ”な馬締光也(まじめみつや)は、言葉のセンスを買われ、辞書編集部に引き抜かれ新しい辞書『大渡海』の編集に当たる。馬締をはじめ、不器用ながらも言葉にものすごい情熱をかける面々に呼応するかのように、周囲の人間たちも、新しい辞書を作り上げるという一つの目標に向かって突き進んでいく…唐突ながら、まいねには辞書を”ツール”としてでなく”読み物”として読んでいた時期があります。
対象は『新明解 国語辞典』で、割とその内容の面白さ(と、辞書を評するのも変だけど)に
一部定評のある辞書でして、確か、おこぜという魚の名前を引くと「○○科の魚」などという
学術的な説明とともに
「顔はいかついが、美味い」
と一言添えてあるのがツボに入って、ニヤニヤ笑いながら辞書を読むものだから
周囲の人間は不審に思っていたことでしょう。恐らく、編集者ないしは原稿依頼をした
先生の中に、釣り好きな人がいたんでしょうねw
当時は単に笑えるポイントを見つけて楽しんでいただけでしたが、辞書というのは
(言葉は生き物であるゆえに)完全たりえず、
(人が作る故に)平等たりえず、多少の主観が入ってしまう
ということを無意識的に感じ取っていて、その人間臭さが好きだったんだろうと思います。
この作品に出てくる馬締などのキャラクターたちは、みんなきらりと光るセンスをもっていて、
そのくせ生き方がどこか不器用で可愛らしく、人間味にあふれています。
辞書を作るには実際でもかなりの時間を費やすようですが、『大渡海』の場合はなんだかんだで
完成まで15年近くかかっています。
そのため、文章の中で急に「それから○年後…」といった跳躍があって面喰うことが
何度かありました。最初は(説明不足だな…)と少し思ったんですが、
彼らの人となりを知るうちに
「あ、これは辞書と同じなのね」
と気付かされます(深読みとも言う)。例えば私たちが”左”を辞書で引き、
関連して”右”を引いたとします。”左”と”右”の間には、何百という言葉がありますが、
私たちは目的である”左”と”右”の間にある語をわざわざ見たりはしないでしょう。
しかしながら、その間にある語がまさに目的である誰かもいるわけで、
”左”と”右”の間にある語は手を抜いてよい、なんてことはありません。
作中で語られない数年間、馬締たちはそんな人のために、
辞書の最初の言葉から、最後の言葉まで、変わらぬ熱量で一語一語の説明文を
編集していることが確信できます。
皆が一つの目標に向かい、最後まで熱を冷まさない、
非常に地味なのに(!)熱い世界が本著の中にあります。
最近情熱がちょっと足りないな…と思う方におススメ。
あと、この本を読んだ後、各種辞書を開いて紙の”ぬめり感”を
触って感じたくなること請け合いですw
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