円城塔と草野マサムネは似ている byまいね
最近、カラオケのコミュニティ上でスピッツ好きの方と交流することがあって、話の中で
「マサムネさんの歌詞って、たまによく分からないんだけど、
それでも一旦飲み込むのはスピッツファンあるあるだよね」
と言われていて、まさにそうだなと思います。スピッツはデビュー当初から好きですけど、
実は”よく分からんなぁ”と思っている曲が多々あります。
とある詞のすぐ次の行で、全く正反対のことを言っていることもままありますし。
前述の「円城塔と草野マサムネは似ている」は、上記を踏まえ、
この作品を読んだ上でのまいねの印象でした。
”旅の間にしか読めない本があるとよい。”
冒頭の1行から、衝撃のあまり思わず仰け反ります。
なるほど、分からん。名言めいた”キマる”表現で、分かるような、分からんような感じがしますが、
何だかイマイチ分かった気にならない。分からんということなら分かる。
どれほど分からんのか、やはり分からん。
それでも、飲み込んでしまうんです。この言葉を。
この言葉が薬になる可能性を期待して。この言葉が毒になる可能性に恐怖して。
この言葉が爆弾になる可能性に震えながら。
少なくとも、この言葉が私に何らかの作用を及ぼすことを確信して。
どこを切り取ってもそんな言葉のオンパレード。書中で何度か出てくる
”さてこそ”という、たった4文字の単語ですら(何だこれ?)と思いながら飲み込む始末。
造語だから分からないのは当然?
さてこそ、この単語を文法によって解釈できる言語がどこかにあるのかもしれない。
私が最初に読んだ円城塔の作品は『Self-Reference ENGINE』で、
「時間が輪のように」つながっているため、因果律が成立していない、
私たちの認識からすれば”ハチャメチャ”と感じる世界のお話だったのだけど、
『道化師の蝶』は、時間が輪になっている可能性もありながら、
「作家が作品を書きながら、作品が読者を書き、読者が作者を書くような輪」を連想します。
ともかく、旅のお供に良い作品と巡り会えました。
旅をしながら読めば、分かるということもあるかもしれないし。
その解釈を持って『Self-Reference ENGINE』を読むのも良いかもしれませんね。
もっとも、実はそれが起爆装置という可能性だってあるのですが。
残虐非道な表現などのない読書ならぬ”毒書”、
脳を揺さぶられる刺激の欲しい方におススメです。
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