『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』村上春樹 著
何しろ9月は大変でした。
毎日の深夜残業、休日出勤に加えて上司からのプレッシャーもきつく、
連日ご飯もほとんど食べずにウィスキーをがぶ飲みし
(グラスになみなみのトワイスアップが3杯だから…日本酒換算で、毎日10合程度?)、
そのあと睡眠薬を飲んでやっと眠るという、絵にかいたようなボロボロの生き様。
月末くらいになると、拒食症に片足…どころか腰ぐらいまで浸かっているような状態。
そんなときたまたま出会ったのが、本著。そして、ふとした思い付きで、
この当時読んでいた『燃えよ剣 上・下』(司馬遼太郎)と、この本を読むまでは
家では一切お酒を飲まないという半禁酒生活をすることに。スローガンは
酒を
捨てよ、
書の旅に出よう
ということで、3週間強の
”しゃしゅしょ(捨酒書)”期間を過ごすのでした。
―――
そんなこんなで本著を読み終えた訳ですが、まずタイトルが素晴らしいです。
本著の内容を表すのに、これ以上もこれ以下もないというくらいピタッとはまっています。
村上さんはウィスキーの味を表現するのに、文学、音楽、女優などに喩えています。
私はこれにちょっと反感を覚えます。もちろん、自分にはそんな表現ができない故の
単なる僻みなのですが。
しかしながら、この喩え方は村上さんのこれまでの生き方を反映した哲学のようなもので、
私には私なりの哲学があるというだけのこと。
#私がラフロイグを「病院から火葬場に直行するような味」と喩えるのに
#どんな哲学があるというのか、分析が必要なところですが・・・
本著の中でも語られていますが、もし私たちのことばがウィスキーであったなら、
村上さんが傾けたボトルに私がグラスを差し出し、
それを一杯飲みさえすれば、言葉を駆使するよりも伝わるものがあると思うんです。
アイルランド、スコットランドを旅行したことを短い文章と写真で綴ったこの本は、
恐らく2時間もあれば読み終えることができるボリュームなのですが、
きっとこの本を読んだ後のウィスキーは、ウィスキー飲みの人も、そうでない人も
ちょっとだけ深く感じられることでしょう。
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