『泣くなら、ひとり 壇蜜日記3』壇蜜 著文春文庫※以降、ネタバレを含むかもしれないのでご注意ください。
TVでお馴染み壇蜜さんの、赤裸々なリアルがここに!仏教用語を芸名に使うだけあって、やはりこのお姉さん、ただ者じゃありませんでした。
ちょっとだけ…覗いてみる?( *´艸`)
やっぱり壇蜜さん、文章うまいです。多分何をやっているときでも
頭の中で文章に起こしてしまうクセがあるんだろうなと思うんですが
(まいねと一緒!(*´ω`*)<ドヤァ)、
色んな表現を駆使し、連日描かれる彼女の日常。一言にまとめると
「主に寝ています。」
ちょっとした病気じゃないかというほど良く寝ています(!?)。
猫と戯れながら、日がな寝て過ごすさまをこれだけ”読ませる”のですから凄いですし、
これだけ読ませる文章を書くのに、ずっと寝ているというのだからやはり凄いのです。
寝ぼけ眼を装ってじっと世間をねめ付けているのかと思うと…ゾクゾクハァハァします(!)。
TVのイメージでは、連日男をとっかえひっかえするような、
せくすぃーな日々を想像するのですが、実際は真逆のようです。
百年の恋も冷めに冷める…かと思ったのですが、逆に新たな魅力を発見しました。
ほとんど自己愛に近い親近感(そして、同族嫌悪)です。
正直、俺が壇蜜か!?と思ったほど・・・いや、それは言い過ぎだ(ぉ)。。
連日綴られる日記を読んでまいねが思ったのは、
(自分と同じく、生きることへの執着心がまるで感じられない)
ということ。強い劣等感(自分でも悲しくなるほど鈍くさい、など)を持ち、
他人の目に、口に、一挙手一投足に怯え過ごす日々。
過去に何があったかは知りませんが、自分はこの世界に必要ないと考え、
それでも死ぬことができないから生きてるだけ、そんな感じ。
ただ、彼女とまいねの決定的な違いは、壇蜜さんは”達している”ように見えたこと。
…エロいこと考えた人はグランド3周な_(:3」∠)_<俺も走りました…
”達している”のは「諦念の境地」。”諦め”は世間ではマイナスイメージの言葉ですが、
仏教の世界ではあらゆる執着を捨てた心の状態を表します。
本著の中では「結局世の中は金」という身も蓋もない、
仏教とは真逆のような俗っぽい言葉も何度か出てきますが、
きっと生きるためにお金が必要だから稼いでるってだけで、お金を稼いでどうするとか、
仕事のやりがいとか、そんなことはほとんど考えていないと思うんです。
#ただ壇蜜さん本人の名誉のために言っておくと、(当たり前のようだけど)健康面とか、
#文章を書くことなどたゆまぬ努力をする一面もあるようです。
私たちが考える以上に芸能人って大変そうですし、下手に人付き合いをするなら
いっそ孤独の方が楽…そんな割り切りなんかもあるのかもしれませんが、
ここまで人、モノなどに執着せず生きている人も珍しいなと思います。
壇蜜さんはスメハラ(する方)に怯え、何度もお風呂に入ってしまうエピソードなんかも
書いていますが、形而上的には完全無臭な気がしました。
「生きているということは、香りがあるということ」
そんな言葉が出てくる映画がありましたが、香りにあふれたこの世界で、
案外無臭こそが最も価値のある”香り”なのかもしれません。
…あ、でももし形而下的に香りが強いならそれはそれで嗅いでみたいです(#´ω`#)<ムハー!
_(:3」∠)_<もう3周走ってきました…
巻末には書き下ろし小説も付いていますが、日記を読んできて芽吹いた
無臭なイメージも相まって、良くも悪くも強いメッセージ性を感じない軽めの作品です。
それでも「春と私はどちらが図々しいだろう」等といった、ハッとさせられる言葉なんかも
散りばめられていますので、ふっと手に取ってさくっと読み、
物思いにふける糸口を探すには良い作品かもしれません。
[2回]
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