前回の続きで、震災数ヶ月後~現在の話を書こうと思います。
<震災数ヵ月後>
震災から数ヵ月後、まいねは転職して岡山へ移り住むべく、準備をしていました。移住の理由は、当時同棲していた彼女との結婚を考えており、未来に築く家族の安全などを考えたら岡山がベストだったというのが一つ。当時働いていた会社がリーマンショック+震災のあおり受けて経営が危なかったことが一つでした。震災そのものは直接の要因ではありませんでしたが、あの経験により”一人で生きて、死んでいく”ということに強い恐怖を覚え、結婚願望は強くなりましたね。
・・・まぁ、その彼女とは別れることになったんですけど(!!)。。その話はまたいずれ。
横浜で勤務していた会社が少しずつ機能を回復し、業務再開してしばらくすると、3連休などがあれば仙台や福島に行ってボランティアで復興作業をしていると言う人が増え始めました。前回書いたとおり、まいねの周囲の人は皆無事ではありましたが、福島に住んでいた同僚は家がなくなってしまい、家族全員が路頭に迷っているという話を聞き、まいね自身も「何かしてあげたい」という漠然とした思いはありました。しかしながら、通常の仕事+転職活動+引越し準備で、暇もお金もなくなり始め、何とかしたいという気持ちはあるのに何もできず、そんな自分に嫌悪感を抱くという負のループに陥り始めます。そんなとき、まいねを救ってくれたのは他ならぬその福島の同僚でした。
「復興って、数年でできるわけじゃないし、これからずっと長い年月が掛かるはず。
だから、まいねはできる時にできることをしてくれたらいいんじゃない?」
逆に励ましを受けて情けなくもありましたが、すごく気持ちが楽になりましたね。
<現在>
ニュースなどで、岡山に移住してきた東北人が多くいるという話題を目にします(実際に会ったことはあんまりありませんけど)。同時に、震災で傷ついた気持ちを岡山の人に理解してもらえず、悩んでいるという声も上がっているようです。まいね自身も、震災について”暴言”といえるレベルの言葉を吐かれてイラッとしたことも度々ありました。まいねはこういう時、
「大災害の恐怖は、実際に経験した人でないと中々理解できない。
しかしながら、あの恐怖を皆が味わえばいいとは思わない。
だから、あの恐怖が理解されないほど平和な場所に自分がいることを、幸せだと思うようにしよう」
と思って心を落ち着けています。
震災から2年半、未だに震災当時のガチな画像を見ることはできませんが・・・安全な場所にいる私が傷ついてるってのもアレな話ですが・・・岡山に住んで9ヶ月ほどたち、生活の基盤もでき始めてきたので、防災グッズを買うなどして自身の準備もしつつ、被災地のために何かできるかなという状態にやっとなってきました。防災の日をきっかけに、今こそ行動のとき!という自分自身を奮起させる意味も込めて、色々語ってみた次第です。
乱筆乱文でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
[3回]
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