『おらおらでひとりいぐも』若竹千佐子 著(2017年11月初版)河出書房新社※以降、ネタバレを含むかもしれませんのでご注意ください。
”新しい女になりたい”という漠たる思いを抱え、田舎を飛び出して上京した桃子さん。
住み込みのアルバイト周造との出会いと結婚、二児の誕生、そして最愛の夫の死・・・古くなった家で一人で暮らし、生きること、死ぬこと、幸せ、孤独、自由…など様々なことと向き合い、自問自答する日々を描く。最近、土手での読書にハマってます。
梅雨の合間に軽食とドリンクなんか持って、風や日の傾きなどを感じながら本を読むのは、
家や図書館とはまた違った趣があって、中々良いものです(*´ω`*)
本著は2017年に芥川賞を受賞しています。
天邪鬼なものだから、「〇〇賞受賞作」なんて箔が付こうものなら
読む気を失くす(w)まいねにしては珍しく、受賞時に気になっていた作品でした。
新人賞に近い意味合いのある芥川賞を、最年長63歳で受賞というのもありますが、
何より、本著の半分以上が東北弁(若竹さんの故郷の岩手弁かな?)で書かれており、
・表記不可能と言われる東北弁を、どのように書いているのか
・東北出身じゃない人たちが、本著をどのように読み、受け容れたのか
ってところが気になったんです。…文句なしに面白くて、おススメしたい本なので、
誰かに貸して
「これ、あなたならどう読む?」
と一部音読してもらいたい気持ちでいっぱいですw
#因みにまいねにも読み方が分からない部分が少しありました。。
#厳密には東北弁なんて言葉はないのですが、
故郷がはっきりしないので#
以降は敢えて”東北弁”と表記します。#文中に”八角山”が出てくるので、明らかに岩手ですね。読みが浅くて半端な紹介となり
#申し訳ありませんでした。
主人公の桃子さんは75歳を迎える現在でも、あらゆることを一々考え込まずにはいられない
自他ともに認めるいわゆる”面倒くさい”人。
多角的な思考は、時に桃子さんが複数人いるかのように湧きあがり、
本著の裏表紙にかかれている紹介文にて「声がジャズのセッションのように湧きあがる」
というのは言い得て妙だなと思いました。
#ジャズのセッションでは、曲が決まっていてもそれぞれの楽器がそれぞれの解釈で演奏する。
慰めようとする者、鼓舞しようとする者、とりあえず反論しようとする者…
それらがテーマに沿って、標準語・東北弁入り混じってワイワイと激論を交わします。
「それはそうと何で東北弁なのか?」と話の腰を折る者もいたりして、もうてんやわんや!w
ちょっと横道に逸れますが、青森には平たく「バカ」を指す言葉がたくさんあって、
その中に”ほじなし(本地なし)”ってのがあります。
自分の核になるものをしっかりと持っていないヤツ→バカ、みたいな意味です。
まぁ日常で使う中で、そこまで深い意味を持ってるとは思えませんが。
閑話休題。
何となく、桃子さんの中の東北弁はこの”本地”なのかなって気がしました。
上京して余所行きの言葉で隠してきた、桃子さんの核となる性格。
これと相対するとき、東北弁が飛び出してくるのでしょう。
人間は本質的には独り。自分の生き方を誰かに依存してはいけない。
もしかしたら自分は、(自立的に生きるために)夫の死をどこかで望んでいたのかも…
少し衝撃的な言葉も飛び出しますが、内なる己の声を友として、
孤独と向き合い、たまにはなだめすかしたりしながら生きていく様は、
インターネットなどが普及し、他者とつながりやすい反面、つながり自体が希薄だったり
あるいはコミュニケーションそのものに依存してしまう現代人(ブーメラン…)にとって、
「孤独、自分自身を友とする」という生き方の、一つのヒントをもらえるのでは、と思います。
おススメですよ!
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