『上を向いてアルコール』小田嶋隆 著(2018年3月初版)ミシマ社『亀が無理してロードバイク乗ってみた』きっか 著(2016年12月初版)株式会社 学研プラス※以降、ネタバレを含むかもしれないのでご注意ください。
アル中の沼は、実はすぐそこにある。必要な条件は単純明快。
「アルコールを買えるだけのお金と、飲み続けるのに十分な時間があること」
人はアルコールに溺れるとき、兎角必要以上に悲劇的な理由を付けたがるが、
誰だってわかっているのだ。酒で嫌なことから逃げることも
先延ばしにすることもできないってこと。
#仕事で裏切られたとか、女房に先立たれたとか、どうしても眠れないとか・・・
酒を飲んで、後から理由を付けているだけだ。
小田嶋さんはコラムニストという職業柄、多少の素面の時間さえあれば
仕事が成り立つということで、元々アル中予備軍であったのだけど、
ある程度の蓄えができて、たまたま仕事が減ってヒマができたことで
ひたすら飲み続けるという状態になり、アル中へと転落していった。
『上を向いてアルコール』は、アル中を克服してしばらく経った後、
アル中時代を振り返ってのお話なので淡々と描かれており、
恐怖感を煽るような記述などないのだが、実は何より怖いのは、
先に書いた「ある程度の金と時間さえあれば、誰でもアル中になりうる」という事実だ。
恥ずかしながらまいね自身も、アル中予備軍だなと思うことがある。
子供の時から睡眠障害で、よっぽど体調を崩した時以外は睡眠時間は6時間未満。
ちょっとストレスがかかったりすると4時間以下になるので、
(酒がないと眠れない)
と思い、寝酒と称して50度以上の酒を5~6杯以上飲んで寝る…というかほぼ気絶だ。
#自分で分かるくらい酒臭い状態で出社するから、周囲にとっては服着たアルコールだろうねw
(他人事ではないぞ)と思いながら、夢中で読んでしまった。
そんな本著と『亀が無理してロードバイク乗ってみた』。
まるで真逆だなと思ったけど、実は意外な共通点があることに気が付いた。
「アルコールも自転車も、悲劇/喜劇を演じるためのツールである」
ということ。
お酒の席ではしばしば、酔ったことを前提にした上での
(ギリギリアウトな)ぶっちゃけ話とか、悲劇、喜劇を話すことがある。
酔ってるからと言って何でも許されるわけではないし、問題は解決しないし、
記憶だって(意識がある限りは)残るものだが、暗黙の了解として
お酒を飲んだ時は、話半分にしゃべる/聞くという合意が形成され、
ある種の”別キャラクター”を演じてOKということになる。
実はこれが、自転車にも当てはまる。
まいねが自転車に乗ることを知っている人や、明らかに自転車に乗るってな格好で
お店に入ったりしたとき、大抵
「今日はどこまで走りに行くんですか?(^ω^)」
と声をかけられる。ロードバイクに乗る人間は、乗らない人から見れば
信じられない速度/距離を走るものなので、その一言で
(どんなヘンタイ話を喋ろうかな/聞けるかな)
という場ができ、思う存分道化を演じることができるわけだ。
小田嶋さんはアル中という地獄を経て、それを克服した人なので
(お酒をやめなきゃいけない・・・?)
という気にもなるが、実際には飲み屋さんでのコミュニティなんかが、
楽しかったり自分のためになることもあるので、上手に付き合えば
お酒は悪いものではないはずだ。
自転車だってそう。他人に/自分の身体に負担をかけないように楽しめば、
世界はどんどん広がっていく。
楽しむためにはある程度本気で。でも、無茶はしないように。
ごくごく当たり前のようだけど、沼はそこら中にあること、ゆめゆめお忘れなきよう。
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