最近見聞きしたことが、まいねの頭のぐちゃぐちゃの中に
ピンと一本の筋を通しつつ発見らしいものもあったので、酔いに任せて語ってみます。
呂律の回らない舌よりは文章の方がマシ・・・かな?w
唐突ですが、食べ歩きを趣味とするまいねにはいくつかのポリシーがあって、
そのうち2つを挙げてみると、
1.何を食べてもまずいと思うような、落ち込みや怒りがあるときは食べ歩きをしない
2.お店を探す時はレビューなどを見ず、自分の足で探す
人間が”美味しい”と感じるには、素材の持つ旨み成分とか味を感じる細胞の敏感さだけではなく
食べる側の心理状態であったり、一緒に食べる人の存在であったり、
歴史的(遺伝的)、文化的な背景があったりします。
”○○を食べることをタブーとする”国の人は、○○を食べさせられても
美味しいとは思わないでしょうし、それ以前の遺伝的なものもあると思います。
#言語学の講義で聴いた話ですが、日本人同士の親を持ち、日本で生まれた子に
#日本語を教えた場合と英語を教えた場合、日本語の方が習得速度が速い、
#すなわち日本人は遺伝的に日本語を覚えやすいようにできているのでは、という説がある。
#これと同様に、美味しいと思うものにも遺伝的要因があるのではと思っています。
このような例は枚挙に暇がないですがともあれ、”美味しさ”は料理そのものだけでなく、
その周辺の情報なども含んでいるということは、皆さんも経験的に感じていると思います。
まいねが先述したポリシーは、転じて言えば
「美味しさは料理人だけが作るのではなく、食べる側も一緒に作り上げるもの」
「誰かの感想をなぞるのではなく、自分で苦労して探し、味わったものに価値がある」
という思いから来ています。
―――
上記と見聞きしたことを踏まえての気づきなのですが、
「人間が”美味しさ”を感じるというのはどういうことか」
を心理学的なアプローチで研究する人たちがいて、その説の中の一つに
「支払った代償に対する対価として美味しさを感じる」
というものがあります。蛇足かもですが平易に言い換えれば
「高いお金を支払った/長い行列に並んだ/散々探し回った
料理であるが故に、美味しい(≒美味しいと思わなければやってられん)!」
ということ。あくまで自分の世界に閉じ快楽を追及するのですから、
形を変えた自慰行為と言っても過言ではありません。これは本ブログでご紹介している
まいねの手料理に関してもほぼ同じことが言えて、
「苦労して作った/栄養のことを勉強した/自分の心理状態も把握している
料理であるが故に、美味しい(≒美味しいと思わなければやってられん)!」
これをSEXにまで持っていことするなら相手を見つけ、その人の同意を得て、
気持ち良くしてあげることが必要となるわけです。まいねの手料理に言い換えるなら
食べてくれる人…はいないけど(泣)、当ブログを見てくれる人が
(こんな料理食べてみたい/作ってみたい!)
と思っていただけたならそれはSEXであり、失敗したなら自慰に過ぎないわけです。
・・・と、まいねが自慰しようがSEXしようが特に何ということもないんですけど(w)、
大島圭太さんのCDの『戯言集』に触発されて、SEX思想に基づき手料理について
語ってみました(ちゃっかり他人のせいにする人間の屑の鑑)。
これから先も、まいねのご紹介する手料理はあくまで自分の身体のためが
メインになるとは思いますけど「~に効く」のパターンを増やしたりなど、
読んでくれる人のお役に立てればと、反省した次第なのです。
酔っ払いの反省は、一晩保つかどうかすら怪しいですけどね(ゲス顔)w
[2回]
PR